今日の最高気温44度に達したビクトリア州などで山火事が手がつけられないという報道。オーストラリアやアメリカ南西部などは日本においても山火事多発地帯として知られる。ケアンズは水の多い土地なのでそれほどでもないが、まあ乾季の後半にもなれば毎日どこかが燃えていて1日ドライブしていて山がどこにも燃えていないことの方が珍しいほど日常的に炎上している。この動画のような大型の山火事(野焼き)でも誰一人監視もしていなければヘリも消防車も野次馬もいなくて、ただ轟音を立てて野山が燃えている。時には国道脇でも大火災がおきながら、それでも通行止めにもならず人々は淡々と炎の脇を通り過ぎていく。
山と水の国である日本出身者としては山火事は災害にしか見えないが、オーストラリアのような長きにわたって干からびている土地では生態系は山火事に順応済みでありはたから感じるようなダメージは実際受けてはいない。実際に焼け野原がすぐに森に再生していくその鮮やかさを繰り返し見るにつれ、よくこちらで聞かされる「定期的に野山が焼け野原にならない限り、健康な自然などあり得ない」「しばらく燃えていない山は火をつけ動物を呼び戻さないといけない」というのも次第に本質的に理解される。ケアンズで「環境保全と国土管理」という分野を学び学位も持っているのだけど、その履修中でも「いかに山を焼き払って理想的な自然環境を維持するか」といった科目がたくさん出てきた。定期的に燃え上がるシステムになっていない日本の野山では多くの場合山火事は災害でしかない。日本とは自然の仕組みがそもそも異なっている。
以前山火事の渦中の峠道を他の車に続いて登っていた際に、前方で道端の木が焼け崩れドカーンと道路に倒れてきた。それさ、車に命中してたら死んでたかもしれないね?その倒れた木で道路が通れなくなったので各車からオージーが降りてきて、みんなで「熱い、熱い!」とか言いながら引きずってその燃えている木を谷底へ突き落として「よし、これで先に進めるぜマイっ!」「ウェルダンマイっ」とまた各車が火に包まれる峠を登って行った場面に出くわした。「熱い、熱い!」じゃないだろ。楽しい人達だなぁ。山火事はそれほどまでにオーストラリアでは日常的な自然現象である。(しかもネガティブな存在ではない)
オーストラリア、とくに地方ではでは日本のように病的な人命最優先の社会ではない。危険だと思えばUターンすればいい話。馬鹿げている思えば参加しなければいい話。それは個人の判断でという一段階上の社会だ。全員が必要になる判断力を養う機会は幼少の時から十分にある。世界で最も人間の密度が低い国の一つであるオーストラリア(一部の土地部を除く)で概ね受け入れられているコンセンサスと言える。
結局先週の山火事は山の手線内側の二倍の面積を焼き払いながら死者もなく。