文句の付け様が無いケアンズの青空。飛び上がりたくなる衝動を私に与えてくれる。
我ながらなんとまぁ簡単に幸せになれる事か。
思春期の頃は、今よりも輪を掛けて多感だった。夏の空気に、まるで世界が自分を
待っているかの様に高揚し、秋の里山の寂しさに込み上げるものと向かい合った。
春が近づけば、水郷地帯の土手で何をするでもなくぼんやり時を過ごした。
当時から一人でいるのが好きだった。それ以上に集団が苦手だった。
同世代の人間となかなか迎合するものはなく、
周囲への疑問が、苦手な人付き合いが、私をネイチャーガイドの仕事に呼び込んだのか。
あの頃からもう10年以上。変わったものはなんだろう。
あの頃の葛藤と、現在のまなざしと。
学校の校庭と、ケアンズの青空と。
人付き合いは苦手だけれど、一人では寂しくて居られない。
ようは人付き合いに不器用なので、会社勤めが性に合わない。
ひりひりキリキリ痛い思いばかり。
いーかげん、引退したいな(w
飛び出した人をうらやましく思う反面、
なぜ自分はできなかったのか、
選ばなかったのか?
もんもんと考える。(w
そういう選択肢があることすら思いつかなかったというのも事実かなぁ~。
人をみて、あ、そういうのも有りだったか、とか思うことしばし。
デスクの上の小さな画面から、ケアンズの青空が広がる。
ネットって凄いですね。
うざったいかもしれないけど、時々おぢゃまします。
kumataro-さんとは逆。私はなんでこっちを選んでしまったのか?という思いがよぎるたびに、それを頭の中から消し去るのに苦労します。
裕福な暮らしに憧れて、超大企業の入社試験を受けました。1万人以上の中から最後の20人程に残りました。東京の高層ビルの最上階。大理石の階段。霞むほど下にあった下界。私がずっと這い回っていた世界。光と闇。すべてが、この世のものとは思えず(この会社に人生を賭けてもいい)と確かに思いました。そして最後に…落ちました。こうやって書いているだけで、震えるほど悔しく、時を戻したい気持ちでいっぱいになります。「なぜケアンズに?」
人間とコンピューターとの違いは「白か黒」ではなく人間には「灰色」があるからと誰かがいいます。でも、人生においては何故か灰色は選べないのではないですか?今いるケアンズも、蜃気楼のような高層ビルの最上階も。どちらにも立ちたかった。一度の人生で、どちらも心底やってみたかったことです。
接続のせいでしょうか、最初こちらのコメントが見えませんでした。
なので、不適合者へのコメントはお返事を読む前でした。
>私はなんでこっちを選んでしまったのか?・・・
そうなんですか、、、
ふっと、現地のノンビリした釣りにまだ慣れない、
とおしゃってたのが浮かびました、
ケアンズの暮らし、とても素敵にみえますよ。
自分が「無口でツマラナイ若者」になる場所より、
「俺もすてたもんぢゃない」になれる場所がいいですよ。
自分が壊れちゃってたら、
「まだまだやってやるぞ」っていう悔しい思いをもてる自分がいたかどうか?
ビジネスチャンスは会社の箱の中だけではないと思います。
両方手に入れて悪いことはない、
できることなら、かなえてください。(真面目にそう思ってます)
再チャンスをくれたケアンズと、今は無きAustralian Leisure Guiding社の二人と、動物達に感謝。