懐かしい匂いがあった。白樺の高原の薫りか、低山のクマザサの薫りか。匂いと同時にその向こうの景色が見えたに違いなかった。
気がつけば十五年もの間、私のフィールドライフの相棒であった1人用の超小型テントを知人に譲る事になった。最後にメンテナンスをしてやろうと思い家で組み立てたら天幕に染み込んだ木や大地の匂いに加え、北アルプスの風の音、四万十川の水さやの光、ニューカレドニアやバヌアツの湿った空気、富士の樹海で深夜近づいてくる謎の音への畏怖、ケープヨークでの月夜とアオバズクの声といった様々な情景がわっと押し寄せ、暫く黙って相棒を見つめていた。シンナーで朦朧としながら縫い目にめど目加工をし、全体に撥水スプレーをかけ乾燥させながら一日かけてメンテナンスをして送り出した。行き先はサンシャインコーストの新進気鋭の動物ガイド/調査員のs君。不運な事に(?)私に購入され、あげく彼に渡ったあのテントの世界放浪はまだ続くだろう。
普通の観光ツアーガイドと、我々のような動物ガイドとでは仕事の内容がまるで違う。観光ツアーでは毎日同じコースをこなし、そのコース上で見られる生き物は見られるし見られない生き物は見られない。「このコースではそれは見られませんよ」「今は時期ではありません」という逃げ道がある。我々の場合はこちらからコースを定めるのではなくて、利用者から「見たい生き物はカミツキカブトガメの新種xxを始め爬虫類全般。但しシドニー近郊でも見られるものは除外」「猛禽類を見たい。できればオナガイヌワシが狩りをする瞬間。じゃあよろしく」「インコやオウムの仲間だけに興味があるので楽しみにしてます」「添付のリストは過去3度のケアンズ旅行でまだ見た事が無い生き物リストです。今回の旅でその中の哺乳類を優先して50種類位は埋めたいと思ってます。じゃあ宜しく」とったリクエストベースのものであって、どこへ出かけるかを選定する所から仕事の一部となる。だからどこに何がどういった状態で生息しているかをいつも把握して、常にその地図をアップデートしていないと成り立たずそれを楽しめる人でないと無理である。年間で300日以上アサートン高原に通っていた年もあり、一時期私は住む家を持たず車中やテントで生活しながら仕事をしていた位だ。
地図はどんどん書き換えられていくが、数年前に大きく変わった事がある。サイクロンと、それに伴う森や食べ物の変化によるものだと思っている。鳥類ではアオアズマヤドリ、オウゴンニワシドリ、ナンキンオシ、ヒクイドリがテーブルランドでは見つけ辛くなり、哺乳類ではアカネズミカンガルーやヒメフクロネコ、クロアシユーカリネズミが目に見えて減った。いずれもリクエストに上がる事が多い人気種であり復活が待たれる。昆虫と異なりライフサイクルがある程度の長さになるので今暫く時間がかかるのかもしれないが、人間を原因とした減少ではないだけに彼らがそれを乗り越える事が出来ると信じたい。