【鳥学通信23号】は浦野栄一郎博士の突然の死去を伝える記事で一杯だった。なんということだ、と私は読み始めようとしていた専門書を傍らにそっと置き合掌した。
何年前の事だろうか、インターネットオークションにて20冊ほどの日本の古本を落札した。その中には日本に置ける鳥類学の第一人者の一人である上田恵介教授の古い著書 『♂♀の話 鳥(おすめすのはなし、とり)技報堂出版』が含まれていた。15年ほど前に出版され1冊だが、手元に届いたそれは若干日焼けが見られるだけで保存状態はよく美本と言ってよかった。さてさて、とページをめくる手はすぐに停止した。…。裏表紙にマジックにて大きな落書きが、いや驚いた事に「浦野栄一郎様 上田恵介」と手書きで記されていたのだ。
…。…。
浦野栄一郎?聞いた事がある、と書棚から鳥類学の本や目録を取り出してみるとやはり浦野栄一郎の名はあちこちに散見される。私が偶然落札した一冊は野鳥ファンには極めて特別なもので、鳥類学の権威である上田恵介教授が後輩に当たる浦野栄一郎博士へ出版にあたって送ったものだった。本には何カ所かに浦野博士によるものとみられる書き込みも見られ、両氏の溢れんばかりの学問的情熱が感じられ体が熱を帯びるのが感じられた。このような本を浦野博士は処分などするだろうか、まさかと閃いた私が後日見たのが冒頭に記した一節になる。
博士は亡くなられていた。50歳そこそこの若さで何の予兆も無い急性心不全により自宅アパートで急逝、恵まれない晩年だったということだった。恐らくご遺族によって浦野博士の膨大な蔵書は処分され流通し、そして偶然私がそれを落札したのだろう。それだけではなく、確か半月もずれない時に上田恵介教授から「シニアのゼミ生達を連れてケアンズに行きます。ケアンズにはバードウォッチングの為だけではありませんが10度ほど行った事があります。ガイドできますか」と連絡を受けた。私はこの不思議な縁に目が回りそうになった。
様々な人生がある。『人間には2つの種類がある。1つ目の種類はね、変わった一生を送る人間達。2つ目の種類は、まだ出会っていない人間達』とは 写真家で作家の星野道夫の本に登場する一節だ。 つまりこの世で出会う人総ての生き方は奇妙であるということ。
この原稿を書くにあたり初めて上田教授にあの本の事を言及した。
「驚いています。彼は嘱望された研究者でした」
「本、(彼に替わってこれから)大切にして下さい」
と。
次第に身の回りや心裏に金で買う事の出来ない宝物が集まっていくことの充実をどうとらえるだろう。一冊の本も時には一生と情熱と人格を帯び、縁(えにし)を辿って海を渡り、人生の一部を築いていく。時間と言う大河が私たちの周りを音も立てずにゆっくりと流れ、万物を穏やかに内包しているように思えてならない。