広大な敷地にログハウス二つだけという贅沢な宿にいた。日当たりのよいベランダでコーヒーを入れてのんびりしていたら、久しぶりに全身の緊張や汚れが浄化されていく感覚を覚えた。
深閑静寂。
溢れるウィルダネス。
そしてすべての社会的束縛から距離があること。
これらで私の人生の大半が満たせる。幸せになる事は難しい事ではない。
このログハウスはコンドミニアムタイプで暮らせるような設備と広さ。また明日から続くキャンプな毎日に備えて早速洗濯と各種充電を開始。車のポリタンクに水10リットルを補給。旅が始まるとだんだんぐちゃぐちゃになっていく荷物や機材をもう一度整理し体勢を立て直す。こうして4−5日おきに宿に泊まれるとあまり疲労しなくていい。一週間を越えるキャンプ生活のコツは、時々日常と同じ時間をとることにある。毎日がスペシャルというのは華々しいが、感性の消耗も早く心が疲労してしまう。
木のざわめきしか聞こえない。日本の早春を思わせる柔らかな日差し。雲一つない青空へ延びるユーカリの古木。ここでは時間は大河のように、落ち着きと優しさを持って流れていた。「そういう差異、相対整理論だよ」昔聞いた言葉を思い出す。では何故、収斂していくのか?思案に耽っていたら鍋で炊いていたご飯を焦げ付かせた。せっかく素敵な宿にいるのだからもう今日はのんびりしよう。血走った探鳥は中断して大きな風呂に入ったり、原稿を書いたりして静かに夜を過ごした。近くの池から夜通し蛙の声。
翌日。ひときわ沢山の鳥が降り立っている家があって、餌か何か置いてるのかなと思ったら逆だった。突然ドアが開き「Get out(出て行け)!!」と怒り狂った中年の女性がホイッスルを吹き鳴らしながら飛び出してきた。呆気にとられている通行人(私)をよそに、その中年の女性は庭を走り回ってすべての鳥を追い出すとようやく家に戻っていった。
…。
これはいい場所を見つけた、と喜んでいた気持ちが吹き飛び不快感が残った。まぁ自分の庭をどうしようとそれは持ち主の勝手なわけだが、そんなに鳥が嫌ならこんな自然豊かなところに住まなければいいのでは。いや、それも言い過ぎか。住みたくないのに住まないといけない人もいる。ケアンズでも自然をまるで愛さないというか、むしろ嫌いなんだね?という人は結構住んでいる。都会で暮らしたければ都会で暮らせばいい。すぐにでも。居住は自由だ。
話が逸れた。
今日は有料キャンプ場泊。普段は利用しないのだけど、この付近にはキャンプ許可の場所がほかになかったので仕方なく。テントを張るだけで$20も取る。シャワーもガスコンロも使用も別料金。鳥は沢山いるけど人目が気になって望遠レンズや双眼鏡を振り回しにくいほどオートキャンパーで込んでいて、ついさっきのホイッスルおばさんと相まってあまりいい気分で時を過ごせなかった。明日は早くここを脱出しよう。
…時は流れ真夜中。
異変を感じて目を覚ました。強風でテントが大きく揺さぶられている。そんな筈は、と外に出て確かめようと思ったけど、入り口を開けた瞬間に吹き込んでくるであろう風で、ペグダウンしていないこのテントが吹き飛んでゆきかねない猛烈な風。どうしようかと思案しているうちに風はさらに勝勢に乗じ、周囲の木々が咆哮した。地球最後の瞬間とはきっとこんな感じだろう、という大地の悲鳴だった。地面に密着したテントという寝床にいると大地と共振共鳴を知覚できる。三日月のように大きくしなりだせば、人間と荷物で100kg程度の重石になっているにも関わらずテントはずり、ずずっと回転。今からペグを打とうにも、車に積んである荷物を追加して更なる重石にしようにもテントから離れた刹那に大空へ舞い上がってしまう感じだった。為すすべなし。キャンプ場という事で油断していたがここは海に面し、そして高名な”吠える南緯40度線”が通るのである。
暴風は半刻程で去った。たまたま前線でも通過していったのか、吠える南緯40度線の洗礼を受けたのかはわからないが高緯度地方の自然が持つ破壊力に感嘆するほかなかった。テントの外へ這い出ると美しい星明かりがまるで何事もなかったかのように降り注いでいた。
遅ればせながらペグを打つ。ハンマーの「カキーン カキーン」という音が夜更けの星空と海岸へ吸い込まれていった。