Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

過去のリビングインケアンズ連載記事(簡略版)8

そこに、姿は無かった。

街路樹にも、しゃれたオープンカフェの周りにも、ツバキの植え込みにも。電線にも、建物の屋上にも。

冬の東京都心、有楽町、池袋、新宿、品川。大阪梅田、本町、天王寺。雪が舞う本格的な寒さの中、どこからこれだけの人達が湧いてきたのだろうという数の会社員達が各地で足早に行き交う。それに混じって三日間、各地で関係者と商談をしてきたのだが、終始殆ど姿を見なかった。そこに、鳥はいなかった。

鳥類は地球上至る所にいる生物群である。南極にも、高山にも。砂漠にも農地にも。川にも都市部にも海上にも。人間が生命を維持するのはとても困難という極寒の地にも、全てが燃え上がるような酷暑の地にもいる。そんな地球全土に分布する鳥類をもってしても、生息できない状況というのは一体どんな恐ろしい環境なのだ。それははたして人間が居てもよい世界なのだろうか。食べ物になる昆虫や草花も、巣をかける枝もないのだろう。この状態は、環境問題を告発した最初の本と言われるレイチェルカーソン著の「沈黙の春」の有名な一説を思い出さずにはいられなかった。


  「春になると小鳥たちの鳴き声が聞こえ、
   野原には花が一面に咲いている…はずだった。
   今では小鳥の歌声も聞くことができない。
   美しい花を見ることもできない。
   春にもかかわらず
   春はただ沈黙を続けるだけである。」

一見整然とした近代的で美しい大都市は、何かとても恐ろしいものを内包している気がしてならなかった。日本各地から沸き上がっている、「鳥がいなくなってきた」という声。そして、駅のホームに淡々と流れている小鳥の声のテープ(あれは一体なんだというのだろう)。両者を並べて考えた時、雪が舞う気温以上に急に全身に寒気を感じた。

先日、燃油サーチャージまで入れると一人50万円にもなるバードウォッチングツアーを企画/募集した。6日間のものとしては世界一高い旅行の一つだと思う。自分で企画しておきながら、こんなの催行される事はあるまいと油断していたら満席になってしまった。やはり日本では、何かが壊れてきている。

ケアンズ空港到着ロビーを抜けると、シマコキンが巣材を運び、メガネコウライウグイスがさえずり、ハチクイが滑空していた。どちらを向いても視野の中に必ず生き物がいる。それを見て心がようやく融解した。いつもは野鳥グループの方々をケアンズ空港へ迎えにいき、皆が一斉にカメラや双眼鏡を嬉々としてこうした普通種へ向けるのを「この辺の鳥はこれから数日間いくらでも撮れますから、とりあえずバスに乗って下さい」と毎回制しているのだが、今後はその時間も巧く使ってよいメッセージを伝えられるようにしよう。

ようこそ楽園へ、と。

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