深夜に川を無事渡りきり、次に待ち受けているだろうラウラ川へ未舗装道路を走る。おおっ?馴染みの車が幾つか停まってる。早朝4時。先に超えていったみんなもやはりラウラ川で立ち往生か。「とりあえずここまではついて来たよー」挨拶すると、「なにっそのチッサイ車で?よくやるなぁ」と。むかっ。「しかし今度はそうはいかんぞ」と川を案内される。うわ、もう全然無理。災害レベルじゃん。
すぐ諦めて車で再び寝る。ちなみに私はどこでも瞬時に寝る事が出来ます。
そしてここでも裸で釣りに興じるオージー。この楽天的さ…日本だったら人々は抱き合って震え、「もう限界、一刻の猶予もありません」と叫び、報道ヘリが飛び交っているだろうに。
岸近くで水深2m、中央部は+50cm位あるだろうとの事。しかも流れが速い!こりゃー当分ダメですね。一昨日ラウラ川を渡った時には25cmくらいしかなかったのに…写真からも、この旅行記の進行からも気づいてもらえると思うけど、この三日間晴天で雨は降っておらず、遙か上流に降った豪雨が原因と思われる。
(参考:オーストラリアの洪水は、一週間前に1000km上流で生じた雨などが到達することによって突然押し寄せる。そして、救助要請しても普通に断られる。)
昨年の2月頃は29日間誰もラウラ川を超えられなかったそうで(食料は空輸)、まるで秀吉の水攻めを受けた備中高松城である。でも毎年そうやって水没しながら、その状況を静かに受け入れるのがオーストラリアである。あれを作れ、それを送れ、ここを直せと要求する前に、それらは同胞が懸命に働いて得たお金によって初めて賄われる事を考えたい。自分の利益ばかりじゃなくて。
さて悪い事にサイクロン接近の情報も入った。こりゃー下手すると雨期が終わるまで3ヶ月くらいこの川岸に釘付けになることも現実味を帯びてきた。難民に食料や衣服を送ろうという活動があるけど、ひょっとしたら受け取る側に回るかもしれないなぁ。仕事どうしよう。
立ち往生開始からおよそ24時間経過。