Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

クックタウンでキャンプ(アサヒも一緒)

キャンプファイヤー

アウトドアスキル強化週間と称し、クックタウンなどに新しいGPSや用具のフィールドテストを兼ねて二泊三日でキャンプに行って来た。そういえば私の住所は13年前の一時期はクックタウンシェアにあった。強化のためなるべくガスコンロも使用せずたき火で炊事をする。薪は道端で拾いながら屋根に積んで持って来た。涼しい時期でもあり火のあるキャンプはなかなか快適だった。




クックタウンまで北上すると多少リモート(僻地)感も出てくるけど、道路が舗装されているうちはまだまだです。


過去何度も紹介している展望台。ここは最近ある人が「俺がベジータなら悟空とここで闘う」と書いているのを見てツボにはまり(いったいどういう思考回路をしているんだ?いい意味で)それ以来ベジータ展望台と呼んでいる。


町から離れたら出会う車はやはりこうでないと。日本で売れているような小型エコカーはこの国では売れない。
クックタウンの植物園は、変に園芸種を植えず地元産が多くちょうど自分の興味にマッチしてとてもよかった。オーストラリアでも最古クラスの植物園だという。なぜなら…



展望台から見たクックタウンの町。オーストラリア東海岸を初めて世界に報告したジェームスクック船長が、グレートバリアリーフで座礁し損壊したエンデバー号の大修理の為に1770年に上陸。7週間に及んだその修理の間にジョセフバンクスを始めとする同船していた科学者達が植物採取に励み、オーストラリアの自然が解明されていった。また「カンガルー」を始めとするアボリジニ語およそ50語が初めて記録されたときで、シドニーボタニー湾とならぶオーストラリアの歴史上の重要地点。
ジェームスクック一行は巨大な珊瑚礁地帯、今でいうグレートバリアリーフの内側に閉じ込められてしまい外洋に戻れないことでも苦労していた。丘に登り外洋への脱出路を検討した事がジェームスクックやジョセフバンクスの日記に記されている。
“唯一の脱出の望みは北東の珊瑚の切れ目だ…”
この頃ジェームスクック船長はだいぶ参っていたのは明らかで「苦難の岬」は有名だが、詳細な電子地形図を入手し平均的な地図には出ていないような小山まで探していった結果「毒の小川」「うんざり湾」「悲劇の山」「不信の山」など暗いものを周辺で多数発見した。



エンデバー号から名前をとったエンデバー川。クックタウンと言えばこの景色。もともと強風で有名なこの場所は、警報も出ていたこの日は凄まじくカメラを構えていられない程だった。


エンデバー河口に吹き寄せる白波。ワイルドな自然。いかんいかん、もっと誰もいないところへ行きたくなって来た…

地元のパッションフルーツ農場でハチミツ(パッションフルーツ)を無人販売していた。これが旨い!昔カンガルー島で手に入れた希少リグリアハチミツも美味しかったのを思い出した。
で本来の目的の「アウトドアスキル強化週間」も達成。分かった事は一番鍛えないといけないのは、すっかり保守的になったウチのコシジロインコ、アサヒである。
←普段より小さな旅用のケージに入れられハンガーストライキを展開中。

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