Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

リビングインケアンズ連載の二ヶ月遅れのバックナンバー(テキスト版)11

オーストラリア南海岸沖に浮かぶカンガルー島南部のハンソンベイ。日没とともに一気に寒くなり、魔法瓶に入れて来たお湯でカップ麺を作りながらじっと待つ。自分自身が闇に解けていきそうな程、音と光のない世界。何も、見えない。何も。だんだん自分自身と外の世界の境界がわからなくなってくる。自己の境界線を見失いそうになりながら、昔の事を思い出していた。


「ここでは静かですね。世界が。こんなに静かで、ジオラマでも見ているようです」と、相手を見ずに答えた。場所は東京千代田区の三井物産本社ビル。最上階の役員フロア。普通のエレベーターでは階数表示が出てこない隠れフロア。大理石の階段。金襴緞子、豪奢な調度品の数々。美しい女性達。地上界は遥かに足下に会った。「ひさしぶりじゃないか」「ええ、ロシア駐在から先週戻りました。政権への根回しに手こずりました」というドラマのような会話が廻りを飛び交う。行き交うのは大久保利通のような美髭候やらステッキとハットを持った犬養毅といった、会社員のイメージを大きく逸脱した方々が多い。大学生の就職内定率が史上最低を記録した大恐慌のこの年(未だに破られていないそうだ)、何千何万という優秀な大学生が挑みわずか7人しかたどり着けなかった特別な場所に来る事が出来た、と間抜けな若造は当時そう思った。日本を変えるのは私だ、と。
               □  □  □  □  □ 
今となっては誰も信じないが、日本で会社員をしていた事がある。不思議な時期だった。少しでも欲しいと思ったものは何でも買っていた。会社帰りに何万円を使って帰るのも当たり前だった。私の人生でこの頃ほど物理的に豊かだった頃はない。しかし、この頃ほど何をしていたか思い出せない時期もない。何を考えて何をしていたのか。何もしていなかったのかもしれない。透明人間だったかもしれない。現実にあった時間とは今となっては到底思えない。
ほどなくして、ある日会社帰りに空港へ行き、飛行機に乗り、スーツを着てアタッシュケースを持ったままふらっとケアンズに来た。1泊2日の日程だった。その日程、その出で立ちから入国管理館に不法就労と疑われ厳しい取り調べを受けた。当たり前だ。そんな事すら考えられない程私は壊れていた。
                □  □  □  □  □ 
顔の廻りの冷たい空気が揺れたので我に返った。カンガルー島の夜の磯で、コビトペンギンに会いにきていたのだ。そもそもオーストラリアに行こうと決めたのはペンギンのドキュメンタリーを見て感動したから。だから私にとってオーストラリアとの出会いを象徴する生き物となっている。しかし、熱帯のケアンズに居着いてしまい寒冷地に暮らすペンギンには会えないまま月日は過ぎたが別に珍しい生き物ではない。オーストラリア南部各地で普通に見られ、「ペンギンパレード」という名で観光化されているのは有名だ。一度、その「ペンギンパレード」に行ける機会が昔あったが、ペンギンアリーナ席がいくら、ペンギンスカイボックス席(って何?)ならいくら、カクテル光線のもと浜辺のスタジアムにはマイクを握った司会者がいて「ではレディース&ジェントルメン!」と始めるらしい。そのようなくだらないものは絶対に参加しない。野生で自力で見ないと意味がないからな、とか言っているうちに更に歳月は流れた。
日没とともに、餌探しを終えて上陸してくると言うコビトペンギン達。海岸線の砂利道をゆっくり走っていると、巣穴っぽいくぼみを幾つか見つけ、50m程はなれた岩場に腰を下ろした。闇の中、待てども待てども誰も来ない。警戒されているのか。場所が違うのか。もう少しで無の闇に溶けて、目玉焼きの黄身のように夜空へ滲み出そうになってきた時、腰を下ろしていた岩の下から「ぐぅ??。キュ! ぐぅ??。キュ!」と声がしてコペンギンがよちよち顔を出した。その瞬間からブラックホールのような空間は音を立てて霧散を始めた。暗闇の海岸線から次々親ペンギン達が上陸して来た。どうも彼らの上陸ルートに座り込んでいたようだ。動くに動けなくなって周りをどんどんペンギン達がとことこ、トコトコ歩いて行く。正面も、右も左も全て野生ペンギンの行進に囲まれて独り占め、現実とは思えないような光景だ。フラッシュは厳禁なので、いろいろなテクニックを駆使してノーフラッシュで大地に腹這いになって夢中で写真を撮った。土が、風が、冷たかった。
                □  □  □  □  □ 
おお、やっとお前らに会えたなぁ。
しみじみ想った。
その時私は泣いていたかもしれない。

Exit mobile version