Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

過去のリビングインケアンズ連載記事(簡略版)9

The Roaring 40’s (吠える南緯40度線)、という言葉を知っているだろうか。
一年中悲劇的な西風が吹き荒れる海域の事だ。もっと恐ろしい、Furious 50’s(狂う南緯50度)という惨劇的な海域もある。航海記に眼を通すと「風速60ノット」「97ノット」といった想像もつかない列風。それらこの世の果てのような気象はどこにあるのか、というとオーストラリアにある。あるもなにも、タスマニア州は南緯42度線が通る。タスマニアのような亜極地のそのまた僻地へ行くと普段いかに熱帯のケアンズで楽をしているか、だらしなく過ごしているかが分かる。烈風はオーストラリア深南部の峻厳、苛烈な自然のごく一面に過ぎない。


陽が落ちた。

タスマニア本島からフェリーで渡ったブルーニー島。その更に最南端の岬。刃物のような白波と烈風が岬を切り刻んでいた。オーストラリア最果て、といってもさほど大げさでもない。少なくともこの地より南にいる人間の数などたかだか数百。ブルーニー島から次の陸地は南極とも言える。そこは、最前線であった。羽など無くても、風呂敷さえあれば烈風を受けて忍法で十分に空へ舞い上がれそうだ。呼吸にも支障が出るような猛烈な風が吹き荒れ、それは気体ではなく固形物的な形質すら伴ってぶつかってきた。樹木は深く大地に臥せ、全ての音は吹き荒れる風の咆哮に完全にかき消される。轟音轟く中の静寂。

日中に歩いたこの島最南端のトレイルを日没後にもう一度歩くことに。入山届けを書き、山道具と撮影道具や観察道具を背負ってヘッドライトを付け、さて、と踏み込んでいく。ほどなくライトは消した。必要ないのである。月の明るさで。

フクロギツネ、サソリ、タスマニアデビル。サソリはケアンズ郊外でお客さんの枕元に出て以来の再会。「びっくりしませんでした?」とその時尋ねたのだが、「いやぁ、サソリなんて先の大戦の際に南方でそこらじゅうに…」と言われひれ伏すより無かった。おじいさん、今おいくつで?そんな事を思い出し笑いしながら静まり返る夜の岬を一人歩く。あまり静まり返られても何の為に来ているのか分からなくなるのだが、海を見下ろす岬を月光のなか歩いていくことは大変気分が良かった。音を立てている生命体といえば私とカエルくらいである。人間の気配など、周囲に1分子も無い。ヒースも、灌木も、断崖も、南氷洋も、海鳥も、潮目も水平線も遠景も前景も全てが月光と南緯40度線の烈風を浴び、淡いモノクロの光を反射し、身をよじっている。静かだ。しみじみと美しい。眼下の景色も光も音も、人間としてはただ私一人の為にあり、余人の想像の及ばない世界を又1つ脳裏に刻んだ。

数日後。
荒涼、暗澹、索漠、峻烈。そんな言葉を絵に描いたような山岳地帯で野生のフクロネコをカメラに収めるべく苦闘していた。場所や行動パターンは完全に掴んでいた。しかしかなり臆病で人の姿は厳禁。テントのジッパーを開けるだけですぐにすっとんで逃げていってしまい、また暫く静かにしていると辺りを徘徊しだす。で、ジッパーを開けるとダッシュして逃走してしまう。まぁ人間と動物との距離はこうして保たれているべきともいえる。

少しだけあらかじめ開けておいたテントの入り口から望遠レンズを突き出し、フクロネコが前を通るのを狙うしかあるまい。凍える世界遺産の原生森、人里から果てしなく離れた深夜の森。気温氷点下。しんしんと随まで冷え込む。一瞬の油断もならない。小さな一人用テント入り口の隙間から闇へ向けて獲物を狙う姿は完全に猟師である。それ以外何者だというのだ。

遅れて登ってきた月は森とそこに暮らすおびただしい生命をそっと照らし、雲は卓越風に乗って川のように流れていた。静かな、美しい夜。峻烈な空気の冷たさと冷え込みがその印象を一層掻き立てていた。

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