Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

過去のリビングインケアンズでの連載記事(月遅れ/テキストのみ)20

日本の中枢、東京都霞ヶ関。
今年末から新しく進める仕事の準備で数日を過ごしていた。朝の通勤地獄列車やコンクリートの森にいたら、私はショック死または憤慨死するのではないかと思われることがあるがもともと都市部で生まれ育った。そしてアウトドアとビル街、静寂と混沌、過疎と密集、ビジネスとコンサベーション、生物学と経済学といった強い二面性を持った不思議な人間になった。日帰り訪問だけであればただ霞ヶ関もエキセントリックな観光的体験というだけで終わるのだけど、数日続くとまた少し別な感情が発生し次第にそれと仲がよくなっていく。時々私は慌ててその感情を心の奥へ仕舞った。何を考えてるんだ。昔の事はもう忘れるんだ。お前は趣味をしながらにして収入を得、楽園に暮らし、もう十分幸せじゃないか。余計な事は考えなくていい…。


様々な感情を内包したままケアンズに戻り、その日のうちにオーストラリア野鳥の会による定例ツル一斉調査に参加した。空はここアサートン高原では無限であり、土が溢れ水が零れ、森が、風が野生動物が花が満ち溢れている。 東京では吸い込む空気まで周辺のおびただしい数の人々と共有し、一度誰かの体内を通って出て来た空気を吸い込んでいる。または、エアコン室外機や自動車のエンジンを経由した中古の空気を吸っている。しかしここは広い、広い、広い、なんと広いのだ。視線は常に2-3百メートル先、身長145cmもある鳥へ向けられる。

薄暗い濡れた地下道、騒がしい街宣車、人の波、地獄の通勤列車、無限に広がるコンクリート。息苦しい狭さ。そういった五感がまだ生暖かく体や血液や髪に残るなかで、アサートン高原の広大さと大型野生動物の調査は万感に迫るものがある。なんどか目をこすっていたのは眠かった訳ではなく、東京的感覚がすぐには抜けなかった為だ。世の中とはこれほどまでに場所によって違うのだから、分かり合えない事、好きになれない事があったってもうそれは致し方ないではないか。

日が沈むのと時を同じくして、続々とツル達がねぐらに飛来してくる。3羽オオヅル、7羽オオヅル、次の群れ接近中、推定30羽、6羽着陸せずに通過…完全に日が沈んで何も見えなくなるまで仲間達とカウントや記録を続けた。茜色の大きな空の遥から、正確な編隊を組んで空を駆けてくるツル達。やがて真っ暗になった湿原ではツル達のおしゃべりだけが水面に響いていた。 グクル、コゴ、グクル。 人間の目にはもう何も見えない。しかしツル達はまだ飛来を続けているようだった。渡り鳥達は月と星空を羅針盤に夜の大洋を粛々と渡る。そんな情景を思い出すのに相応しいような時間だった。

その時、夜遅くになっても家電量販店が煌煌と営業し、交差点にはぶつかり合う程の人が歩いている東京の夜景がフラッシュバックした。新宿交差点に立ってしばらく世間を眺めていた、雪が混じるような恐ろしく寒い夜の図だった。様々な想いが沸き上がっていた。東京に居た鳥達はどこへ行ったのか。土や水や風や花は、いったいどこへ消えたのか。この群衆は、一体ここで何をしているのか。そして。私がここに暮らしていないのはただの偶然に過ぎないという事も。

深夜も近いにも関わらず、中央線は依然として混み合っていた。そう、とても座れそうも無い程に混んでいた。

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