Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

過去のリビングインケアンズでの連載記事(月遅れ/テキストのみ)19

ある店でおしゃべりな女性を見た。その人は私が店内に居た一時間の間、息継ぎすら惜しむようなスピードと大音量で店員を相手に子供の事や家の事をしゃべり続けた。その類稀なコミュニケーション能力に私は感心し、聞くとは無しに聞いていた。まるで息継ぎなしで延々と演奏が可能なオーストラリア先住民によるディジュリドゥの技術、循環呼吸奏法の応用を見ているようだな、と。

この速度で家でも話し続けているとすると一日に10時間は喋っていることになるが、それは如何様な一生なのだろう。ガイドのときは別にすると、私は一日で一度も口を開かないまま終わる事すら珍しくないような平均的には一日あたり10分間分くらいしか言葉を発しない超無口な人間だ。そんな暮らしを普段していると稀に60分ほど話すと喉が痛くなり脳内で酸素が不足するのを感じるが、その分あのおしゃべり女性と比べて莫大な可処分時間を保有している事になる。読む時間、学ぶ時間、花鳥風月を感じる時間。その差は一日で数時間、一ヶ月で百数十時間、一生で何万時間…。生物学的には同一の生物がこれほどの生態的相違をもてるのは人間だけかもしれない。


内陸の小さな町でそんな事を思い出している。100人未満が暮らすだけの忘れ去られたような町は砂埃が覆っている。 時間の流れすら疑わしいこういった土地にいつか暮らして読書や研究に専念してみたいと願うようになって数年になる。 ガソリンスタンドが一軒と風化した雑貨屋が一軒。近年診療所は建った。あとは、と書きかけて手が止まった。あと何だというのだ。内陸部では動物達の活動は夜間や早朝、日没前に集中するので白昼は動物すら存在しない。人間も動物も日中は日陰でただ日が傾くのを待っている。夜になればまた朝が来るのを待っている。朝になると夕方を待っている。来る日も来る日もすべては同じで変わる事が無く、訪れる人も無い。知っている事だけをし、分かっていることだけが起きる。

自戒を込めて書くが、そういった環境での生活では脳から幾つかの感情や行動が欠落してゆき心理的麻痺状態に陥る。例えばストレスに弱くなり、新しい事に手を付ける事が非常におっくうになる。予定がある事を恐怖に感じる。それらは中毒性があって脈々と進行し、ますます徹底的に平穏で安全な暮らしを求めるようになる。

暑さが赤い地面に染み渡っていた。診療所の非常勤運転手募集という古ぼけた張り紙を見つめている自分にはっと気がつき、さすがに目を逸らした。
ああ、びっくりした!おどかさないでくださいよ。人の声になれるまで、ひと言ひと言ゆっくり話してください』作家Jean Craighead Geogeは名著『ぼくだけの山の家』(茅野美ど里 訳)の中で、山中で自給自足生活を送る少年がノイチゴ摘みに来た老婦人に発見され急に声をかけられた際に上記のような面白いセリフを言わせている。何週間か僻地にいてのち文明に戻ってくると確かに同じような感覚を覚える事がある。野田知祐の本にあった『おとうさん大変だ!ヒトが来た』も静寂を友人に辺境で暮らす人によるセリフとして傑作の1つだ。 彼の本を数多く読み過ぎてどの本に書かれていたか思い出せないが。

通過するロードトレインの轟音が十年一日の沈滞を引き裂くまで、確かに時間は止まっていた。視界の中で動くものは何一つ無く、音を立てるものもいない。人は消え、鳥は沈黙し、獣は伏せ、水は流れず、軟風も太刀風もない空気は重たく沈殿し強い重力を感じる。ただ太陽だけが万物を焦がし、あらゆる生命反応や自然現象は沈黙を続けていた。世界から自分以外の動くものと音を全て消し去ったらどうなるか知っているだろうか?まだなら、暑い季節の内陸ヘ行って体験して見るといい。それはもう宇宙空間的なものだ。ケアンズから北か西に数時間も走ればそろそろそういったエリアになってくる。

あの饒舌な女性をこの村においておいたらどうなるだろうか。
ここにあるのは圧倒的な時間、そして自分自身との絶え間ない対話だけだ。

立ち上がってみた。私だけがこの世界で動いていた。
地面を蹴ってみた。沈殿した世界でその音だけが存在し残響した。
私の周りの空気だけが、しぶしぶ少し揺れた。
私は、幸せである。

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