Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

過去のリビングインケアンズでの連載記事(月遅れ/テキストのみ)17

ブラジル人船員の稼ぎと比べれば実においしい、違法な副業があるという。ブラジルにいる間にそこら辺のオウムやインコを捕まえておき、イギリスやアメリカ、そして日本など裕福で鳥マニアの多い国々に寄港した際にペットショップに持ち込んで売り払うのだという。何しろ元手はタダであっても外国産のオウム類等は末端価格で何十万円もすることが普通である。


そのインコ、アオボウシインコもそうやってブラジルから西日本のある町に持ち込まれた。恐らくは狭い船室に隠されながら太平洋を遥々越えてやってきたのであろう。ペットショップに並べられたそのアオボウシインコが辿った数奇な運命を紹介したい。 (※野生動物の違法な流通は肯定されるものではないけれども、そのインコが既に死去して数年が経過していることや昭和50年代当時の風潮を鑑み、逆に今後の動物保護の一助一臂になるようにと関係者の了承の上で記事にした)

ブラジルから太平洋を横断する航海を経て持ち込まれ、ペットショップに買い取られて暫く後に船舶修理業を営む人がそのペットショップ所有の舟の修理を行った。なかなか支払いが行なわれないので店舗に取り立てにいくと店主から「実は金が無いから修理代金の替わりとしてそのアオボウシインコを代金として受け取ってくれないか」と頼まれたそうだ。そのエンジニアは特に愛鳥家ではなかったらしいが何だかよく分からないうちに現物支給としてアオボウシインコを受け取ってしまったのだった。借金娘ならぬ”借金鳥”という訳でそんな鳥が他にどれだけいるだろうか?しかもこのインコの流転の運命はまだ終わらない。エンジニアは単身だったため鳥の世話に遠からず不自由しそうだと言う事で兄の世帯へプレゼントされたのだ。ブラジルの野鳥→密猟され貨物船に→ペットショップに売却→借金のカタに引き取り→行き場を失い譲渡。

ということでインコはそのエンジニアの兄の家庭に引き取られた。その家庭もどうもそれまではご夫婦ともにダイビングが趣味で、特別愛鳥家ではなかったようだが成り行き上アオボウシインコの面倒をみているうちに奥さんがすっかり愛鳥家になっていった。そこまでなら健全かつ平和的なものだが、愛鳥家から一歩踏み込んでバードウォッチャーになってしまった。おお何と言う事だ、こうなると話は違ってくる。更に悪いことに野鳥撮影にもどっぷりのめり込むようになりこの奥さん(と巻き込まれたご主人)の人生は大きく変わったと思う。野鳥を撮影するために日本国内隅々まで出かけ、さらにその後世界中の辺境へ進出。500mmの超望遠レンズを愛用する極めて稀な女性ハイアマチュアカメラマンとして西日本を中心に非常によく知られた存在となった。私はケアンズ等でこのかたを二年間で延べ24日間貸し切りでガイドしたが、寝る間も惜しむような撮影スタンスで予習復習にも余念がなく、私が知る限り最も熱心な野鳥ファンだと断言する。日本の写真系トゥイッチャー界の先頭グループを走るエネルギーを緊緊と感じる。

ブラジルで捕獲され、太平洋を越えて連れてこられて流転の日々を送っていたアオボウシインコはこうして少なくとも一人の人生を大きく変えた。周囲の人々へも大きな影響を与えた。アオボウシインコはそのまま23年間もの間生き、2008年のお正月の日に静かに息を引き取ったという。 そもそもそのアオボウシインコはブラジルで暮らしていた年月を足すといったい何年生きていたのだろう。 そこは瀬戸内海の波打ち際からわずか数メートルの家。最後の時、アオボウシインコの目には故郷のブラジルの海と森が見えていたのだろうか。何を追懐しただろうか。生暖かく湿った熱帯の空気を回顧していただろうか。異国で送った数奇で悠遠な歳月を想えば人生や一生、縁(えにし)について嘆息させられないだろうか。途方も無い数の生物が今この瞬間も複雑に交差し、通りすがりながら互いの有限の時を過ごしている。

時間という大きな河が私たちの世界の全てを包んでいる。そしてそれは何もかもを下流へゆっくり、ゆっくりと押し流しつつ変えていく。

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