Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

過去のリビングインケアンズでの連載記事(月遅れ/テキストのみ)16

「トレス海峡に停滞していた温帯低気圧が急激に勢力を強め再びサイクロンを形成する見込みとの事です。繰り返します。トレス海峡にてサイクロン発生、ケープヨーク北部は厳重な警戒を…」

「これは緊急の電話です。御予約頂いているロックハートリバー発アルクン行きの便はサイクロンを避けるため急遽定刻よりも1時間早く離陸します。この留守電を確認されましたら直ぐにスカイトランス航空までご連絡を…」

「突如発達したサイクロンはまもなくカーペンタリア湾から半島へ上陸すると見られ、ケープヨーク北部の各集落は直ちに河川の氾濫、飛来物などに厳重な警戒を…」

オーストラリア屈指の辺境、ヨーク半島が騒然とし始めたその朝。


その朝私は飛行機に乗って一週間ぶりに文明社会へ戻る日だった。夜明け前から猛烈な豪雨を浴びながらダートロードをランドクルーザーで踏み潰して走っていた。これは…普通の雨季の雨ではないと感じた。なにしろ私は情報入手という観点では最悪の無人島的場所に一週間ほどいた。そこは電気も電話も水道も届いていない最果ての集落で、もちろん携帯やラジオ、テレビなど役に立つわけが無い。人口5-6人。隣村まで悪路を車で1時間。

「いいか、この時期はスコールがある。ここの奴は”十五分で終わるサイクロン”と思え。やってきたら水平線の彼方であっても見えるからすぐ窓を閉め雨戸を降ろせ。その後でこれを使え」「これは…」「縄だ。縄で全てを縛って暴風に対抗する。外やテラスにあるものは諦めろ」そんな数日前の会話を思い出した。

私が脱出して暫く後に豪雨に伴って鉄砲水が発生し橋は水没。何人か村人が足止めされたものの、装甲車を呼び、干潮に伴う水位の低下の隙をついて突破しほうほうの体で彼らも飛行場に辿りついたようだった。そこで初めてサイクロン襲来を知らされて驚いたが、ともかくこれで飛行機に乗ってしまえば何とか一安心、今日中に文明世界へ向けて脱出だから間に合ってよかったというのはまだ甘かった。

サイクロンを避けるため1時間前倒しで運行するはずだった便が中々出発しない。早く、早く飛んでくれ。機長が客席まで来て「システムエラーが出て原因が分からないから一度機体を再起動させてみる」と黙っていればいいのに恐ろしい事を告げた。そうこうしているうちに飛行場周囲にも不規則な強い風が吹き始める。飛行場の待合室のすぐ外には「2005年、墜落事故で乗員乗客15人全員死亡。安らかに眠れ」という恐ろしい慰霊碑があり、この事故では友人の部下が亡くなっている。早く、早く飛んでくれ。

結局サイクロンを避けるために定刻より前倒しで離陸するどころか、むしろ遅れてサイクロン直撃のなか強行離陸したプロペラ機Dash8。稲妻が何度も機体周囲で炸裂し、プロペラ機は上下左右に滅茶苦茶に揺れこれまでのいかなるフライトよりも恐ろしいものになった。原因不明のエラーとやらはもう大丈夫なのか?「生きた空も無い」とはよく言ったものだ。嵐の中、着陸へ向けて降下態勢の機内からケープヨークの小村アルクンの飛行場とそれに隣接する広漠たる湿地帯が見えた。夜間なのになぜ景色が見えるのかと問われれば、連続して炸裂する稲妻に照らし出されて地上界が瞬き、それはモノクロ写真のように見えたのである。

叩き付ける雨風。夜を昼に変えてしまったような稲妻。泥炭の水辺。密生するマングローブ林。全てが寒々しく薄暗くじっとり濡れている。水没した未舗装道路と儚い村の灯り。陰惨に蛇行して流れる川。粗末な建物と悲鳴を上げながら降下していくプロペラ機Dash8。 何一つ乾いたものが存在しない泥とモノクロの世界に雨が降り続ける。黒い、冷たい、暗い。その眺めは基本的には何処へ行っても豊穣で澄明な南国には似つかわしくない程に峻厳苛烈、暗澹荒涼なもので私は酷く衝撃を受けた。

機外では滑走路や暗い待合室で人々がうごめいているのが見えた。そこには暗さが、ずっしりと根を張ったような暗澹と陰惨が立ちこめてひたひたと滴り落ちていた。

また稲妻が夜空を駆けた。

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