Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

過去のリビングインケアンズ連載記事(月遅れ/簡略版)14

「一体こいつは何の音だ?」
待っていた。草原に座し迷彩の大きな布を頭から被り、ひたすらオオハナインコが樹洞に戻って来るのを待ち続けている時だった。その奇妙な音は遠くの方から、それでいて確実に接近していた。例えるならカバの群れが走って来るような、地響きと時折木が倒れる音を伴うような音だった。オーストラリアの陸上にそのような大型動物がいる筈も無いし、工事かなにかの音だろうか?と思案してた。そのうちに周囲の草原の草木が同一方向へ引っ張られ始め、風を受けるのとは異なる、空間ごと体が引っ張られるような感覚を覚えた。音や振動や匂いや風向き。全てが有機的に連動している。
その正体は大規模な山火事だった。猛る炎は爆発的に酸素を燃やし尽くし、周辺の空気を急激に吸い込む。激しい炎が大木を次々に倒す。炎へ吸い込まれる空気が今度は陸上のもの全てを一緒に業火の中へ道連れにせんと音を立てた。
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女王。
我々は誰からとも無くそのオオハナインコのメスのことをそう呼び始めた。これは相応しい名に思えた。少なくとも見かけ上、オオハナインコは一夫多妻の逆の多夫一妻である。それは世界の一万種に及ぶ鳥類においてわずか1パーセント未満でしか見られない。メスは通常高い木の洞の中に終始滞在し、食べ物は複数のオスが代わる代わる運んできてくれるので外へ出る必要も無い。オス達は女王に食べ物を渡す権を巡り争う。13羽ものオスから貢がれていたメスも居たという。通常動物はオスの方が鮮やかで美しい色をしているが、多夫一妻のオオハナインコではそれも逆転してメスの方が派手な色彩をしている。こういった特殊な生態を持つ生き物は、ただ個体を撮るのではなくその特異な瞬間や構図をカメラに収めたい。つまり、そこらへんにとまっている姿ではなくて樹洞から顔を出している姿を撮らないと意味が無い。


その為に様々な秘技や奥義を繰り出して苦労しながらも理想的な立ち位置までたどり着き望遠レンズを設置。あとは女王が姿を見せるのを待つだけだった。ここまで至るのにかなりの時間を費やしていた。この日も迷彩布を被って草原に隠れ既に2時間が経過していた。
しかし背後に迫る山火事は十分に恐ろしいものだった。大型動物が群れで走っているような低音と、樹木が焼け崩れる音。炎が伴う有機的な風。放射状に広がる熱波。私は最終防衛線を設定し、それ以上火の手が迫るようであれば撤退として考えた。炎は基本的に斜面を下って来ることはない。一酸化炭素や落下物にさえ気をつけていれば炎自体の瞬間的な殺傷力は高くはない…。


「あっ!」
同行者の声がした。振り返った瞬間、大きな赤い火の玉のような物体が樹洞へ吸い込まれていったのが一瞬見えた。それはもう瞬間的な網膜への残像のようなものだった。女王がついに帰ってきた。その後何秒かの、それは一種の音楽のような静寂の後に女王は洞から再び顔を出し、我々を見下ろした。

撮影チャンスは数秒だったと思う。女王は再び飛び去った。


「よし、逃げるぞ!」
山火事の熱気の中、我々は車に飛び込んでアクセルを思い切り踏んだ。
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オオハナインコ(メス)とは
オーストラリアではヨーク半島のごく一部の地域のみに分布している大型インコ。日本でもオーストラリアでもペットとしても(パプアニューギニアの別亜種が)飼われている。野生環境下ではメスは高い木の樹洞に暮らし、複数の雄が運んで来る餌に依存した生活をしている為にあまり外の世界を飛び回る事も無い。メスは写真のような目立つ赤色な一方、食べ物集めに一年中忙しいオスは熱帯雨林に最も溶け込むカラー、緑色をしている。 オスとメスで色が根本から異なる事や生活スタイルや性格も異なる事から、かなりの期間別々の種として誤って記載された過去を持つ。

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