Site icon 【公式】オーストラリア唯一の日本語専門バードウォッチングガイド 太田祐(AAK Nature Watch)

20年以上経っての大きな転機

今まで私はオーストラリアでの野鳥ツアーを日本の方々【だけ】に行ってきました。それで必要な量のお仕事を頂いてきたので、必死になって英語圏に手を広げる必要がなかったためです。ホームページも広告も資料も全て日本語だけ、英語圏マーケットは完全に無視で20年間。そんな日本人動物ガイドはオーストラリアで私だけですし、世界中でも私だけだろうと言われたものです。極端なニッチマーケットに特化しても生活していけるだけの人気を頂いていたからこそ可能でした。ありがたいお話です。

コロナ禍ではそれは裏目に出て2年半もの間仕事は無くなりました。ただ代わりに始めたオーストラリア人むけ貸切バス事業や民宿はまあまあ順調でした。そんな2年ほどの間に思わぬ副産物があったのです。それはこれまで20年間使う機会があまりなかった英語が大きく伸びたことです。貸切バスの相談や予約はなぜかほとんど電話でやってきます。法人ではなくて不特定多数の一般人からの電話というのは内容の幅が広く、バス会社の特性としてお迎え先や日時など絶対に聞き間違えてはならない難しさもあります。オフィスにどっかり座ってモニターやカレンダーを見ながら対応できるならいいですが、私の場合はほとんどが外で、時は運転しながら(ヘッドセットをして)それに対応しています。田舎なのでアクセントが強い年配の人も多く、ネイティブ以外が発する英語の発音に全く慣れていない人がほとんどです。そんな電話が毎日朝から夜までどんどんかかってくるようになり特に今年になってからは急な上達を感じるようになっていたのです。民宿もそうです。2年間で日本の方のご利用はたった一組だけで後は全部欧米人でしたから。
ある早朝、大きな転機がきます。オーストラリアのバードウォッチングツアー最大手の某社から「今すぐガイドに出てほしい、5日間」と電話があったのです。まだ朝6時台のことです。聞くと、ガイドがコロナになったので規定により彼を直ちに放り出さないといけない、さらに28人乗りのバスは事故を起こした上に泥濘にスタックしていて乗客(アメリカ人半分、オーストラリア人が半分)は雨の中で途方に暮れているというバカみたいな最悪の状況でした。その28人乗りのバスは見たことも触ったこともない謎の機体で「まずどうやって発進させるのかな?」というレベルです。「やらない」と言って問題ない状況でしたがそうしませんでした。働き盛りの40代に2年半も別の仕事を強いられてきたフラストレーションがあったんだと思います。

(←事故を起こした上に泥濘にスタックしていた最悪のバス。ディーゼルの他にアドブルーを添加しないと走らないとかやめてほしい。リアビューモニターも故障中、アドブルー残量計も故障中、PAシステムも故障中)(私の会社では絶対にこんなポンコツは使わない)

細かい経過は省きますが、色々入っていた自分の仕事を急遽全部スタッフにふり連絡から1時間もしないうちに現場に駆けつけてツアーを引き継いで残っていた五日間をクズバスと英語で無事にたった1人で遂行した暁には会社と乗客(ツアーはここで解散だろう、と思ったそうです)の双方から大変感謝されました。いつのまにかこんなことまでできるようになっていたのです。日本人がオーストラリア人達に向かってオーストラリアの野鳥の解説をしてオーストラリア人達がふんふんと聞いているなんて、なんとも滑稽な図です。
乾季の真っ只中の7月に連日襲い掛かる線上降雨帯。乾季の数日間にツアーをして全部雨とか一体なんなんだこのツアーは?結局7月の月間新記録となる雨量を記録し、7月としては史上最低気温の中で凍えながらグレーバリアリーフに行くとかもう何かのギャグだと思った。

極寒で海鳥も何もいないグレートバリアリーフに出現したイルカの群れ。この数日間のガイド中に私が撮った写真は以上3枚だけというところから、過酷な状況だったことが思い出される。

とりあえず任された任務はこなした。

何日かして「以下のツアーもあなたに依頼したい」とリストが届きました。それは来年のスケジュールがもう半分埋まったのでは?という大量の仕事でした。英語圏では野鳥産業の市場の規模や投入される金額が何倍も違う。

20年の沈黙を破って一気にオーストラリア人へ。よく考えれば私が住んでいるマランダでは日本人世帯はもう私だけだった。人生が急に大きく動き出した。

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