
ケアンズから車で一時間半、マリーバ近くのエメラルドクリークフォールズまで行ってきました。写真のユーカリの森の中にかすかにかすんで見える眼下の道。さて、行きますか。
オフロードを延々進む。途中、バックドロップと呼ばれる急坂を通り、終点まで行くとにちょっとした駐車スペースとエコトイレが。(乾期だったら、普通乗用車でも行けると思います)

そこに車を止めてエメラルドクリークフォールズまでの約30分程の上り道を歩く。とにかく人がいない。私にはその事がとても嬉しい。時間が合わなかったのだろうけど、鳥はあんまりいない。

道ばたのアカネグサ。これも素晴らしい。こんな所で会うとは思わなかった。雨期やサイクロンの訪れとともに花をつけ、乾期には死んでしまう。乾いた大地でただ雨を待ち、これほどの鮮やかな色を届けてくれる。アカネグサは英語で一般的にbloodrootといい、根の中に赤い血のような樹液を宿しているためで和名も英名もそこから来ている。以前から、その血のようだという樹液を見たかったから切ってみようとも思ったけど、このたたずまいを見たら申し訳なくてできなかった。

急勾配の山道を30分程登って行くと、目的地エメラルドクリークフォールズだ。それなりのコースなので、サンダルとかだと多分大変。滝の根元辺りで遊んでいるアボリジニの若者達がいたのでどこかから降りられるみたい。

この写真に写っている範囲で滝の三分の一くらい。斜めに100m以上滑り落ちる、非常に美しい大型の滝。ケアンズやアサートン高原には有名な滝がいくつもあるけどバロンフォールズ、デイビスクリークフォールズ、そしてこのエメラルドクリークフォールズが私としてはトップ3。ミラミラはもう何百回も行っていて逆に客観的な評価が出来ない。

そして、振り返ると滝以上に心を打つ雄大な景色と切なさ。この空間を何と表現すればいいのだろう。この切なさと焦りはなんだろう。ゆっくりと陽が傾き、大地に降り注ぐ光の色が刻々と弱くなって行くのをただ見ていた。このままどこにも動きたくなかった。

自然は更に素敵なプレゼントを。静かな山の中、落差100m以上の滝の音をBGMにやわらかな光の気まぐれ。これ以上何もいらない。ケアンズまでの帰り道、うるうるしながらハンドルを握った。
文章を読みながら写真の景色に心集中して、想像して見ました。同じように切なさを感じます。何故なんでしょうね…限りある命、生きるという意味、willieさんもそれらをしっかり見据えているからではないでしょうか。
生きるのは切なく哀しいと同時に美しくうんと素敵な事だと思います。
写真では伝えにくいんですけどね。誰もいない大平原に落ちる夕暮れの光をみて、これ以上一体なにを望むのか、と。
同時に、世界中は無理だとしてもオーストラリア中の自然をしっかり見ておきたい、少しでも早くそういう旅をしたい、と思いました。
アカネグサの生態も心打ちますね。切ない…
それに、探究心より、申し訳なくて切れなったというwillieさんの感性も凄い。生物の、静かなる生と死を思う時、しんとします。
そうそう、動物も植物も落ち着いて最後の時を迎えます。彼らからしたら、人間は死ぬ前から騒ぎ過ぎなんですよ。きっと。