37、38、39、、、。
メーターを気にし始めて以来少しづつ数値は上昇を続け、40に達したところで私たちは自虐的な喝采を小さくあげた。これは気温の話である。
しかし温度計の上昇は青天井で、42℃、43℃、、のあたりから失笑も聞かれなくなってきた。そしてとうとう45を指し、それ以上見ない事にした。ちなみに時刻は日没前18:00のことであり真昼は推して知るべし。51.5℃がこれまでの個人的な最高記録だがそれにどの程度まで迫ったのだろう。
ケアンズからたかだか車で数時間。オーストラリアの内陸部ではこのようなバカバカしい程の気温を手軽に味わうことが出来る。どんなものが相手でもそうだが、異常なものと真面目に向き合ってはいけない。こういうのは笑って楽しむものだ。
以前友人の一人はオーストラリア内陸部にて車からアスファルトに降り立ち、数歩でスニーカーの靴底が熱で溶けて台所のトラップにかかったゴキブリのような状態になりかけたことがある。または、バケツで水を被り全身ずぶ濡れにしてから45℃以上の猛烈な気温の中を岩山歩きに出発した事がある(水浸しになると乾くまでの30分程は涼しい)。これらは日本人的には常軌を逸しているが、今となっては実に愉快な思い出だ。
神はオーストラリアの沿岸部を創った後にきっととても機嫌が悪くなって、このような”恐るべき空白”の大地を中央部に残したのだ。初期の入植者はブリキ小屋に暮らしていたというが、この火星のような環境でエアコンも冷蔵庫も扇風機も無くやり過ごしてきたことは驚嘆に値する。椎名誠の「熱風大陸」という著書の中に(もちろんオーストラリアの話)気温70℃というのが出てくるが、そうなるともはやオーストラリアは南極、北極、ヒマラヤに続く第4の極地と言ってもいいかもしれない。
オーストラリア内部では昼間は過酷過ぎて最も美しくない時間帯とも言える。 だからもし一日というものに夜明けと夕暮れがなかったとしたら。何と退屈なのだろう。 あらゆる鳥が一斉にさえずる夜明け直前の15分間。至高の時間はそこから始まり、最初の光が長大な夜空を切り裂いて闇を押し遣る。低い仰角の陽光は大地を舐め、穏やかな上昇気流が籠っていた大気を撹拌していく。夜行性動物は夫々の塒に入り、自然界のシフトは緩やかに交替する。風が乱れ始め、日が昇につれてどんどん世界は濁ってくる。特に、その神聖な時間の意味を認識していない物体や人が視界に入ると途端に俗っぽくなるから困る。世界が最も美しい夜明けと日没の時間帯にフォーカスできる状況なら10時から16時の間はカットして本でも読んでいても大して構わない。野鳥達だってそうしたいに違いない。
非生産的な鑑賞にふけっていられるのはヒトの特権だ。野生動物は生命維持のための行動で基本的に手一杯だが、ヒトはそれらに加えて有り余る程の時間を与えられている。いや、連綿と続く歴史の中で時間と文化的なものを産み出してきた。この美しい星にヒトとして生を受けた以上は抽象的な事を大切にして生涯を送りたいし、そうでなければ一億種ともいわれる地球生命体の中でヒトとなれたのに詮無いだろう。
その晩はいい夜の匂いがしていた。
座椅子に体重を預け、いつまでも月と星を。
それから少し離れた所で鳴いているヒゲナシヨタカの声を愛でていた。