昨年の後半に定職を辞した。
それ以降は月に3、4日程度古い知人のツーリズムを手伝う他は、野鳥や昆虫を撮りに行き、それ以外は家で専門書や論文を読んでいるという大変ケシカラン生活を続けて心身は大いに開放された。退職後ケアンズ周辺を3週間ほどかけて改めて周り、その後州西部の乾燥した大平原を旅した。夏を迎えるクィーンズランド州は生命に溢れていた。世界はきらきらと輝き、私はオーストラリアに来て以来最良の時間を心から楽しんでいた。
罰が当たったのだ。
年が変わった途端に艱難辛苦が相次いだ。家の屋根には穴が空き、病院では$1800取られ、大事なクライアント一行を乗せたフライトがキャンセルになり、車も壊れ、まさか今日に限ってという日にサイクロンに直撃される…。滅多にしない、キャンセル料100%特約の手配に限ってキャンセルになり、この時期にいろいろな用件でいろいろな人々に送ったメールはなぜかほとんど返事すらもらえず、家電は次々壊れていく。何をしても何処にいても裏目になった。真剣にお祓いを受け、八百万の神々に祈って風水も取り入れて玄関には塩を盛ろうと考えた。短期間のうちに「女難」を除く全ての災難にあっている気がする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どこをどうやって迷い込んだのだろう。本来オーストラリアにいないはずの”マミチャジナイ”らしき鳥をケアンズ郊外で発見という報が夜遅くに入った。翌日もまだとどまっているという保証などどこにも無い。すっかり拉がれていた私は、(どうせもういなくなってるだろう)と翌日ゆっくりと現場に付いた。数名の熱心な愛好家が既に張り込んでいた。待つ事数時間経過。あても無くなく待つ数時間は長い。2名を除いて流石の愛好家達も引き上げ、天候も怪しくなり始め、ほら見ろ、やはり…と思い始めた頃。
出た。
一目で分かる。
オーストラリアの鳥図鑑上にないその外観。

それはとても暑く、風の強い日だった。2011年2月。和名マミチャジナイ、英名Eye-browed Thrush、学名Turdus obscurusがオーストラリア鳥類史上初記録、初撮影。シャッター音がいつまでも周囲に響き渡った。災厄はきっと今日で終わりだ。
「オーストラリア中から愛好家が飛行機に乗って向かって来てるってよ!!」
「ここに屋台を出せ」
電話が鳴り響いた。