2017年10月08日
カンボジアではたくさん見られるホシバシペリカン。
水上集落と少年。
オーストラリアでも砂漠や断崖などわけのわからないところに人間は住んでいるが、それはほとんどの場合好きでそこに移ってきたようなポジティブなケースで、実は資産家だとかかなりのインテリであることが多い。アジアではどんな奥地でも人が住んでいるが、それは拘てそこに暮らしているというよりは「単に」生まれたからそこに住んでいる感じがする
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2017年09月30日
ケアンズなどのオーストラリア北部が雨季に入る頃、近年はコスタリカやケニア、カンボジアなどの第三国へのツアーの仕事を請け負って来た。しかし私はオーストラリアを極める道を選択し、雨季になろうともタスマニア(12−1月)やパース(2−3月)、メルボルン(3−4月)などでガイドをしオーストラリアを離れないことにした。したがって、短期的にはカンボジアに行くことはもうないだろう。
鶏の原種とされるセ
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2016年06月08日
カンボジアではいくつかの世界的な希少種(分布は広い割に数が非常に少ないような種)が安定して見られる。たとえばこの怪物オオハゲコウ。
←大ボスの迫力満点。
東南アジア最大の湖があるカンボジアは水郷地帯であり、ボートに乗って尋常でない量の水鳥を観察するのは実に楽しい。三脚は使えないが、Tさんからレンタルしている新型80-400mmレンズは片手で持てて十分写るし、メインの300mf2.8(初期型
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2016年05月23日
カンボジア探鳥のウリの一つは、世界的な希少種が幾つか高い確率で見られることにある。オオハゲコウ!
ためてためて
巨体が宙を舞う!
とにかくデカい。
ちょっと青みがかった写真にすると、死神的な雰囲気
こちらは子分のコハゲコウ。中ボスくらい?
気を取り直して、ムラサキサギ。
ホシバシペリカンはPBFDを患ったキバタンに似ている…
ボートで遡る支流の両
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2016年05月11日
カンボジア北部の乾燥林を歩き回る。カンボジアではその土地土地で村の青年というか、地元案内人が加わり難しい種類を見つけてくれる。これはマレーモリフクロウ。
ミナミシマフクロウ。このフクロウは毎回複数見るが、日中でも意識がしっかりしておりすぐ飛び去る。
カンボジア北部の乾燥林は道路事情が悪く、ハイラックスやランドクルーザーに分乗しての探鳥になる。分乗すると通訳兼添乗員担当としては忙しく
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2016年04月04日
2016年初も恒例のカンボジアツアー添乗に行った。2015年の時は旧正月の中国人大移動期の真っ最中だったため、世界的観光地のアンコールワットは私の目には地獄絵図のように映った。なので今年は散々参加者を脅していたのだけど、旧正月ではなかったため普通に呼吸が出来るくらいの人手に留まって拍子抜けした。
水上集落の様子とか。
←ホテイアオイを天日乾燥させているところ。
カンボジアは近年まで激しい
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2015年07月23日
カンボジアツアーでは、巨大な湖をボートで巡る。一部は野鳥保護区になっており、そこにはとてつもないかずの水鳥が暮らしていた。インドトキコウ。
絶滅危惧種のオオハゲコウもここでは何羽も。
雨季と乾季とで湖の水位が著しく変わり湖岸線が変動するので、漁民達はつねに沿岸に居られるように水上で暮らしている。水上に家々が並び、いや、浮き、学校や診療所まで浮いていた。子供達は小舟をこいで通学。
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2015年07月16日
今年の2月はカンボジアへのバードウォッチングツアーにまた添乗員として同行させてもらった。
カンボジアは90年代の内戦と、残された荒廃や地雷のため観光開発が大きく遅れ探鳥地として選ばれるようになってきたのは比較的最近のこと。そのため人と被ることのない野鳥観察を楽しめる。それからアンコールワットやアンコールトムなどの大遺跡の見学も一緒に楽しめる。
私は英語圏で暮らしているので、東南アジアの農村の雰
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2020年11月03日
カメラなどの動産への保険は取り扱いが少なく、かつ非常に高価だったりしてこれまで十数年写真をやってきても加入していなかった。その結果、ディンツリーで14-24mm F2.8レンズを遊歩道へを落下させ、カンボジアでD7200が机からタイル床に落下し、D300はマウントアイザで岩山で転倒し、いずれも中破したが自腹で修理することになった。
他に旅行保険でビデオカメラの故障に対応したことが一回あるけど
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2020年01月05日
すでに一部のお世話になった人々には伝えている通り、インコのアサヒが大晦日の夜に天国へ飛び立って行きました。このブログは元々は今のような商用のものではなく私の個人的な内容を書いていたもので、古くからのアサヒのファンの方々も多少おり、区切りをつけることは必要かなと思いました。(写真は亡くなる20日ほど前のアサヒ)
アサヒはとても活発で陽気な面とは裏腹に、生後何年かで飛ぶことをほぼやめ、いくつかの大き
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